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「私達の考える靴屋の仕事」~ 生涯歩行に貢献します
(祖父の工房で作られたオーダー靴です)
靴職人であった祖父が、筑豊の直方市に工房を開いたのは、1938年のことでした。
国鉄などにも業者として出入りし、多くの職人を抱えて、日々、忙しくしていたようです。
大戦を超えての激動の時代で、自身も出征を経験したそうです。
寡黙であった分、お客様のご要望の本質に迫るやり取りで靴を仕上げ、その実直な仕事ぶりより遠方よりの依頼も多く、そして、最後まで職人として人生を全うしました。
倉冨 末男
父は高度成長期の中、商店街で靴の小売店を経営する商売人でした。
小売店としては負担の大きいフルサイズの在庫を持って、できるだけたくさんの中からお客様に靴を選んで頂くことをモットーにしていました。
ロスを減らして、もっと利益を追求するやり方もあったと思いますが、常にお客様目線の誠実な商売を心がけていました。
現在では年齢もあり閉店いたしましたが、直方に二店舗の靴店を運営いたしておりました。
二代目
倉冨 繁昌
大学を出た私は、京都に本社を置く省力化機器メーカーに就職しました。
配属先の東京で二十代を過ごし、三十歳になった節目に家業に入りましたが、それは正直、楽しい仕事ではありませんでした。
お客様に言われたサイズや色の靴を倉庫から持ってきて、気に入ったら買ってもらうという繰り返しに「これは必ずしも自分がやらなくてもいいのでは・・・?」と考えるようになりました。
そんなときに観たのが、2002年4月7日にNHKの衛星放送で放映されたドキュメンタリー 「ハローニッポン・手作り靴で歩く喜びを届けたい」という番組でした。
「靴が人の役に立っている!」
その後の10年間は、まだ会ったことのないマイスターがいればそのセミナーに・・・ドイツ靴の勉強会や団体があると言えば参加し、そして、共に学ぶ仲間を増やし、30代は「ドイツ靴のみ」の濃密な時間を過ごしました。
習得した技術を通して、多くのお客様の足もとのトラブルを解決する機会に恵まれ、そして、感謝して頂ける本当に良い仕事でした。
その意味で、私の仕事は靴を売ることではなく、習得した靴技術を通じて『快適な歩行』を提案することで、これこそが私の『商品』だと考えるようになりました。
ありがたいことに遠方よりもご来店を頂き、一人ひとり違う様々なお悩みを皆様、お持ちでした。
誰もが当たり前に自分の足で一生を歩いていけると思っています。
しかし、何気ない小さなトラブルや積み重ねる年数とともに、それは突然に壊れてしまいます。
しかし、メガネをかけることで視力を改善できるように、私達は靴で体を補う知識と技術を持っています。
もし、お客様が足もとのトラブルにお悩みなら、ぜひ、私達の知識と技術をお使い下さい。
私達はお客様の生涯歩行に貢献致します。
それは・・・「私の両親の靴も見立てていただけますか?」というものです。
そして、それを補うために「補聴器や老眼鏡」など様々なアイテムがあり、その道のプロがいます。
なぜなら、靴の持つ重要性を理解し、説明でき、そして、靴自体にその個人に合わせたカスタマイズができるプロが皆無だからです。
ご両親に「いつまでも健康で過ごしてほしい」「いつまでも自分の足で歩き続けてほしい」
靴を通じた親孝行に、ぜひ、私達の知識と技術をお使い下さい。
私達はお客様の生涯歩行に貢献致します。
ドイツ靴を取り扱い始めて、少しその後になりますが、ヨーロッパ製の子供靴の取り扱いを開始しました。
子供靴は成長期の大切なパートナーとして、古くよりその重要性をヨーロッパでは認識されています。
しかし、当時の店舗は直方市でしたし、靴の価格は15,000円を超えるものがほとんど・年2回ほどの買い替えが前提となるような靴が必要とされるのか、正直不安でした。
そして、いざ取り扱ってみると、大人の靴よりさらに遠方よりの来店が続きました。
「自分が子供の頃に靴で悩んだから」「自分の子供にはそんな思いをさせたくないから」
まさに成長期の土台として、しっかりとした子供靴は必要であり、それを「自分が手に入れることができなかった」と言う、ご両親様よりの声を多く聞きました。
生涯歩行の原点が成長期の足もとにあるのなら、健康靴専門店としてそのような声に謙虚に今後も答え続けて参りたく思います。
お子様に健やかな成長の為に、ぜひ、私達の知識と技術をお使い下さい。
私達はお客様の生涯歩行に貢献致します。
私はいま、実直な靴職人であった祖父と誠実な商売人であった父が繋いでくれた道の上にいます。
私達は全ての生涯歩行に貢献致します。