もう10年ほど前・・・ドイツ靴の取り扱いを志し最初に尋ねた靴屋さんが「長崎の山口屋さん」でした。
その頃の私はまだドイツ系の靴の調製のセミナーなども受講しておらず、なんの予備知識もなく九州で唯一であった工房を持った靴店である山口屋さんを妻と二人訪ねました。
当時、独身だった店主の中村さんは、私よりひとつ年上だったのですが、頻繁に首都圏に出かけ多くのセミナーやまだ九州に紹介されてなかったブランドと取引を行い先進的な靴店を経営されていました。
私と妻は自分たちが靴店であることを話し、普段通りにフィッティングして頂き「ナチュラルフィート」というブランドの靴を買い、そのインソールの調整をして頂きました。
その結果、合計の価格が4万円を超え、当時は低価格の靴ばかりを販売していた私たちはビックリしたものですが、仕上がった靴の履き心地に更にビックリしたものです。
それから、業界の先輩としての中村さんとのおつき合いが始まり、一緒に仕入れに行ったりセミナーに行ったり、電話やメールで情報交換をしたりの交流が始まりました。
そして程なく氏は、以前の職場(靴店)の同僚の美代子さんと結婚され、その後も私は長崎に問屋さんなどと泊まりがけで遊び行き、中村夫妻に美味しい店を紹介して頂いてみんなで痛飲して、翌日、朝一の電車で私は福岡に戻るなどという事を繰り返しておりました。
また、昨今はお店の仕入れの担当が美代子さんになり、思わず東京などの展示会場でお会いすることも多く、その時は情報交換に努めたものです。
美代子さんがここ何年かは体調を崩されていたことは知っていましたが、年齢も私よりひとつ上の40代前半だし、少し前のノサカさんの「ミーティング」にもご夫妻で参加されていたので、正直あまり心配しておりませんでした。
なのに先日の19日に唐突にある問屋さんより「18日にお亡くなりになりました」とのお電話があった時は・・・正直、理解が出来ませんでした。
私はその日の電車で長崎に向かい、お通夜の席へ着いたのですが・・・どうやら現実の出来事のようでした。
思えば私と中村さんが飲むと、いつも「ぶっ殺す!」とか「殺ってやる!」とか、物騒な話になることが多く、そこで女性の美代子さんが入ると普通はその話が、もう少しマイルドになりそうなものなのですが、なぜか、怒りが怒りを呼び、更に拍車がかかり「全員皆殺し!」レベルの話となり、同席している問屋さんや同業の方が呆然とすることも多かったです。
でも、我々が怒っているのは、ある個人や特定の社会の出来事でなく、いつも「間違った日本の靴文化」についてでした。
目先の利益のために平気で嘘をつき、意味のない使い捨ての靴を量産し、自分の仕事にプライドを持たない多くの靴業界の人々・・・これを打破すべく、戦いつづける事こそが我々の日常であり、ある意味、その原動力である「怒り」を共有できたことは、志を同じくする大先輩の奥様でもあり、かつ、私の「戦友」であったと信じております。
お通夜の折の喪主の挨拶として、中村さんが「嵐のように現れて、そして去っていった」という一言を付け加えられていました。
私に出来ることは、この先もその「怒り」の気持ちを忘れずに、そして、嵐のように力強く、正しかるべく自分の靴道を邁進する事と信じます。
最後に・・・そのあまりにも早い死に、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
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