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九州の皆さまへ・・・私の「新店舗」への想いです 前編

(今回は文章のみのブログとなり、かつ、長文となります)

ブログの更新をしばらくお休みし失礼をいたしました・・・今年の2月より3月にかけては私の人生の中でも過去ないぐらいの多忙な時期でした。

なぜなら、新店舗の立ち上げに忙殺されていたからなのですが・・・この出店には、本当にいろいろな背景があり、今回はその「想い」を文章にして皆さまにお伝えしたく思います。

当店の半生記の様になりますが、私の祖父が福岡県の直方市で靴工房を開いたのが1938年・・・当時の筑豊は隆盛を極めた石炭産業の中核をなす都市であり本当に景気がよく、国鉄などに出入りしていた祖父の工房にもたくさんの靴の発注が入り、かつ、多くの職人さんとその仕事をこなしていたようです。

そして、代替わりして私の父が社長となった時代は、韓国などより既製品の革靴が多く輸入され、「つくる」事より「販売する」事がメインの靴店に変化していきました。

そんななか、もう20年も前になりますが大学を出た私は京都の会社に就職をしました・・・当時の就活も簡単で電話をしたら「よく電話をくれたね!内定!」みたいなバブルの残るご時世でした。

京都の本社より、早くも10ヶ月で東京に転勤になり、営業職としてテリトリーの関東を駆け回り、また2年したら技術系の本部に配属となり、こちらでは全国を駆け回りというサイクルを2回ほど繰り返したときに、あっという間に私は30才となってしまいました。

今の自分の行動基準はこの時に作られたもので、個人商店に顔出しに行った帰りに大企業にプレゼンに行ったりの対応する業種の行動半径の広さや、「売り上げ」という基準の中でいかに組織の一員たりえるかなど、この会社には本当に多くのことを学ばせていただきました。

また、仕事が終わり会社のある新宿から歌舞伎町や地下街をぬけて通勤する日々も本当に楽しく、かつ稼いだお金はこの地域には全て貢いだ気がします。

この8年が本当に早かったのにビックリしたのと通勤の埼京線(当時日本一混むと言われた路線でカバンのなかのプラスチックが割れるぐらいの凄さ)に乗るのが嫌になった私は、家業を継ぐべく退職をいたしました。

さて、父が社長の時代に家業の靴店に入った私の感想は「正直・・・あまり面白くない」というものでした。

なぜかというと、当時は1980円のケミカルシューズや9800円ぐらいのファッションやビジネスシューズが商材の中心で、お客様との会話も価格が「高い」とか「安い」程度で、かつ、当時もよくお店は繁盛しており「なんかやることがないな~」と言うのが素直な感想でした。

・・・だったらと、多少、指先の器用さに自信があった私は、靴店内でできる事という事業で「靴修理」を思いつき、いろいろ調べて「根本製作所」というメーカーより、小型の靴修理のマシンを購入し、店の一角を区切り「靴修理・合鍵・傘やカバンの修理」というリペアの仕事を始めました。

これは本当に面白く、持ちこまれた靴をどの様に修理するか想定し、材料を加工し仕上げていくという課程は楽しく、かつ、やればやるほど深みがあり熱中をしたものです。

しかし、その時に私の人生で第一の黒船がやってきます・・・・それは私の住んでいた直方市にイオンモールの出店が決まったことでした。

計画のモールは規格外の大きさで、こんなものが郊外にできたら私のいる商店街が影響を受けないわけがありません。

当時、結婚も決まっていた私は、今の環境を使って「何かほかのことができないか」と、ネット検索していて見つけたのが「FSI」という足と靴の学校で、ここではドイツ式の靴やインソールの加工や調整を教えてくれるそうで、かつ、これだとマシンも転用して使えそうでした。

そして、そのFSIの資料を取り寄せてビックリしたのですが・・・高い! 2週間ワンセットの講座を2回受けることでセミナーは完結するのですが福岡から出張して、その金額をプラスすると安い車なら買えちゃう金額でした。

でも、ここが私の人生の基点でした・・・このセミナーに参加した私が一番嬉しかったことは、一緒に勉強する仲間ができたことです。

修理の時は横の繋がりなどなく、それでもできたのですが、オーソペティの奥行きの深さは無限大で共に進む仲間がいないと挫折するのが関の山でした。

また、当時のその様なセミナーも多く開催されており、当時の日報を見ても私は取り憑かれたように東京に月に3・4日は出張し、様々なオーソペティの講座やたくさんのドイツ系の靴店さんを尋ねて靴を買いそれを繰り返しました。

人生において、この時期を言葉にするなら「疾走感!」という一言に尽きます・・・たくさんの出会いがあり、見知らぬ土地や異国にも出かけその文化に触れ、本当に突っ走った30代でした。

まぁ、一番偉かったのは何も言わずにお金と時間をくれた両親で・・・本当に感謝しております。

さて、当店は「ドイツのオーソペティをベースとした工房を持つ靴店」となり、結果として、たくさんのお客様にもご支持を頂き、イオンモールの営業開始後も安定感を持った経営を続けることができおりました。

しかし、安定したと思ったこの時期に・・・またしても第2の黒船が私の人生に押し寄せ来ることを知りました・・・それは!  ~続きます~

☆3月の定休日・・・16日(水)
☆4月の定休日・・・お休みはありません

「2011/2/17~19 塩釜」編

私は結構マメな性格だと自負しているのですが、今月はタイトな出張予定と新店舗の準備の為に、本ブログの更新が滞りがちとなっております・・・最近はいろいろな皆さまに読んでいただいているのは理解しているのですが・・・スイマセン・・・。

さて、2月17日よりの三日間、宮城県は塩竃市に出張してまいりました・・・目的は同市の市民センターで行われる「日本整形靴技術協会(I.V.O. JAPAN ) ・第7回学術大会」に参加するためです。

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今回の目玉はなんと言っても我が「足フェチ」より・・・

教育講演「病院でのフットケアとフットウェア ~チーム医療の一員に~」
竹内一馬先生 福岡大学新造血管外科 医局長

教育講演「糖尿病と靴」
竹之下博正馬先生 福岡大学病院内分泌・糖尿病内科 助教

お二人の講演が予定されていると言うことです。

 
と、ここでいつもの靴旅風に文章を綴りたいのですが・・・また、新店舗の方に呼び出しがかかりました・・・。

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竹内先生、竹之下先生の素晴らしい教育講演や同学会でのいろいろな演題発表、また、塩釜の素晴らしい海産物などについて綴りたいのですが、3月に入って店舗が落ち着くまでは、毎日が師走の様な状態です。

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お忙しいなかを縫って大会に参加いただきました竹内先生、竹之下先生、本当にありがとうございました。

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また、役員の皆さま、本当にお疲れ様でした・・・次回の大会は神戸で開催予定との事で「一発、演題でもかましてみるか~!」と夢想しつつ、今は出かけてまいりま~す。

☆2月の定休日・・・26日(土曜日ですが、設備メンテナンスの為にお休みをいだきます)
☆3月の定休日・・・お休みはありません